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次の世代へ引き継ぎたい有形・無形の財産の中から、北海道民全体の宝物として選ばれたのが「北海道遺産」です。北海道遺産構想推進協議会様のご協力により、各遺産の詳細情報を公開しています。

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第2回選定分の北海道遺産はこちら


伝えたい北海道の物語 作品募集

北海道では、地域で語り継がれている言い伝え(民話、昔話など)や生活史(風習、生活習慣、生活道具など)に関する絵本を募集しています。創作ではない史実や伝説などに基づくもので、子どもにもわかりやすい内容とします。
詳しい内容、申込方法はこちら


北海道遺産について
次の世代へ引き継ぎたい有形・無形の財産の中から、北海道民全体の宝物として選ばれたのが「北海道遺産」です。
第1回選定分25件は平成13年10月22日に、第2回選定分27件は平成16年10月22日に決定・公表されました。北海道の豊かな自然、北海道に生きてきた人々の歴史や文化、生活、産業など、各分野から道民参加によって選ばれました。
このページは、北海道遺産構想推進協議会様のご協力があり制作することができました。ページ内で使用している写真、データは全て北海道遺産構想推進協議会様よりお借りしているものです。





アイヌ口承文芸

アイヌ民族が育んできた文化に「口承文芸」があります。
語り手の話を聞いて楽しみ、味わうことで伝えられてきたもので、英雄叙事詩、神謡、散文説話などがあります。

このうち、サコロベ、ユカラなどと呼ばれる英雄叙事詩は、短いメロディーを繰り返しながら長大な物語が語られ、数十分から数時間かけるものもあり、空を飛んだり、海に潜ったりする超人的な行動なども含まれる壮大なストーリーが展開されます。
これらの口承文芸は、人から人へ、長い間、途切れることなく語り伝えられてきました。

旭橋

「いくつもの時代と思い出を刻みながら、人々の暮らしをみつめてきた橋があります。」これは、『旭橋』という名の豆本の書き出しです。
旭橋は、道北の中心都市旭川市を流れる石狩川に架かる橋です。明治25年(1892)、現在の位置に土橋が架けられたのに始まり、昭和7年(1932)、 鋼鉄製のアーチ曲線を描く橋が、当時の最新技術をもって竣工しました。

橋は時に、戦いのために欄干を供出し、木製になる辛いこともありましたが、つねに旭川の人々の誇りでした。 現在、「旭橋を語る会」などによって、市民のつどいや写真展などが行われています。70年を過ぎたこれからも、 市民の生活と共にあり、活動の拠点となることが期待されます。

雨竜沼

雨竜沼湿原は増毛山地の標高約850メートルのところにあり、東西約2キロメートル、南北約1キロメートル、 面積約101.5ヘクタールにおよび、北海道の山地湿原の中ではもっとも大きな高層湿原です。

湿原には大小の真円形の 池塘 ( ちとう ) が百数十もあり、独特の景観を見せています。 湿原植物も豊富で、昭和39年(1964)には道指定天然記念物に、昭和59年(1984)には暑寒別・天売・焼尻国定公園特別保護地区に指定されました。
地元の「雨竜沼湿原を愛する会」では、清掃活動や学術調査、会報の発行などを通じて保護活動を行っています。 地道な活動は、この湿原をそのまま未来に伝えることの大切さと難しさを、訪れる人々に教えてくれます。

江別のれんが

開拓使は内陸開発建築資材にれんがを奨励し、道内8地区17の工場で造られたれんがによって、北海道庁赤れんが庁舎をはじめ多くの名建築が生まれました。

大正以降、全道一の陶土地帯である江別の野幌周辺へとれんが製造の中心が移り、現在も3つの工場が稼動しています。 江別産のれんがは全国シェアの20%以上を誇り、市内には小学校やサイロ、民家、倉庫など400棟以上のれんが建築物が美しい姿で現存しています。
セラミックアートセンターや旧れんが工場を利用したカフェ(アンテナショップ)など行政整備を基礎に、れんがをテーマにした産官学民一体の取り組みは特筆されます。

オホーツク沿岸の古代遺跡群

網走管内では2,000を越える遺跡が確認されていますが、地域によって時代が大きく異なります。オホーツク沿岸地域では縄文、続縄文、オホーツク文化、アイヌ文化まで各時代の遺跡が分布しています。 中でも4.5キロの砂丘に約2,500に及ぶ竪穴住居が連綿と残る常呂遺跡、縄文後晩期からアイヌ期までの複合遺跡であり、オホーツク文化遺跡として著名な網走市のモヨロ貝塚、縄文後期のもので小型のストーンサークルを内部に持つ斜里町朱円周堤墓などが代表格といえます。
また、黒曜石の原産地として知られる白滝村など内陸部では特に旧石器時代の遺跡が多く見られます。

当時の人々がどのような暮らしをしていたのか――オホーツク沿岸の古代遺跡は樺太・シベリアなど大陸諸文化との関係が強く認められ、 北方古代文化の解明に果たしていく役割は大きいといえます。

開拓使時代の洋風建築(札幌時計台、豊平館、清華亭など)

札幌市時計台や豊平館は、北海道開拓の初政をになった開拓使の事績を伝える歴史遺産であり、日本列島の北の一翼にあって文明開化の先端をいった北海道の気風をよく表しています。

時計台は札幌市民のシンボルであるとともに、近年は2階旧演武場ホールが、音楽会や講演会などさまざまなイベントの場として親しまれており、 豊平館も婚礼祝宴の場として長年ユニークな活用を続けています。

明治初期の洋風建築は全国各地に建てられていますが、北海道においては和洋折衷型も含め、工業局庁舎、清華亭、 永山邸、札幌農学校の農場建築などの建築群が遺され、なかでも時計台のように都心部にあってまちの成長を見守り続けているのは、 誇るべき歴史遺産の姿として高く評価されます。

五稜郭と箱館戦争の遺構

箱館戦争は明治元年(1868)10月20日の旧幕府脱走軍の侵攻に始まり、翌2年(1869) 春の新政府軍の反撃により、5月18日の五稜郭開城で終わりました。この戦いは道南一帯に及び、その遺跡、遺構が随所に見られます。

榎本武揚率いる旧幕府脱走軍艦隊が上陸した鷲ノ木(森町)、蝦夷島臨時政権の根城となった五稜郭や千代ケ岡陣屋跡、 弁天岬台場跡、急ぎ造成された四稜郭、権現台場跡<旧東照宮跡>(函館市)、猛攻を受けた松前藩の居城、福山城(松前町)、 新城の館城(厚沢部町)、旗艦開陽丸が座礁、沈没した鴎島沖(江差町)、 新政府軍が上陸した乙部海岸、激闘を展開した二股口(大野町)、土方歳三が戦死した一本木関門跡(函館市)など、戦いのすさまじさを偲ばせます。

サケの文化

サケは北海道を代表する食材のひとつですが、その歴史は古く、擦文時代の遺跡からサケを捕獲したと推定される装置が発見されています。またアイヌ民族もサケ漁を生業のもとにしてきました。バラエティに富んだ食味にとどまらず、さまざまな日用品に使いこなしてきた先住民のサケ文化の歴史は、和人にも継承されています。

サケは川に生まれ、海に下って大海原を回遊したあと、産卵のため母川に回帰しますが、この習性を利用した漁法が発達し、 また親魚の保護や人工孵化事業も早くから行われてきた歴史をもっています。母川回帰は、川流遡上、産卵、そして親魚の死という、 生命のドラマを生んでおり、自然環境保護の目に見える指標としての役割を果たしています。

札幌苗穂地区の工場・記念館群

札幌市の創成川以東は、豊平川の豊かな伏流水や貨物輸送の利便性などによって明治期から「産業のまち」として栄え、今も福山醸造をはじめとした大小さまざまな工場や倉庫がひしめき下町的な雰囲気を残しています。

また、苗穂駅近隣にある北海道鉄道技術館、サッポロビール博物館、雪印乳業史料館は内容も充実し、北海道の産業史を知る上でも貴重な記念館群を形成しています。
近隣住民で構成される苗穂駅周辺まちづくり協議会では、自分たちが暮らすまちをもっと知ることができるよう、「なえぼ」の歴史や見所、イベントなどを一覧にした散策マップを作成するなど、その活動が注目されています。

静内二十間道路の桜並木

二十間道路は、和種馬の大型改良のため明治5年(1872)に黒田清隆が進言し、静内町から新冠町にまたがる地域に開設した御料牧場(7万ヘクタール、馬2,300頭)のための行啓道路です。

静内市街から東進して入る通りは、龍雲閣まで直線で7キロメートル、幅20間(約36メートル)にわたり、両側には約3,000本にのぼる樹齢90年のエゾヤマザクラなどの並木が続き、雄大な日高山脈を背景とした景観は、我が国で類を見ないスケールです。しずない桜まつりに訪れる観光客は年間20万人にのぼります。
この歴史遺産保存のため、「桜並木保存会」などの民間団体が行政と協力して樹木の診断、植え替えなどの保存活動に関わっています。 桜まつりのほか、コスモスの植樹など、二十間道路を舞台にした年間行事も盛んです。

積丹半島と神威岬

積丹半島開発の歴史は古く、ニシン漁の旧大漁場として発達しました。切り立った断崖とシャコタンブルーと形容される神威岬の海岸美は絶景です。貴重な自然と産業の古い歴史に加え、明治から昭和初期に栄えた旧ニシン場の遺構として番屋、揚場跡、袋澗、トンネル、旧街道などが保存され、今も「ソーラン節」が聞こえてきそうな風景が広がっています。

平成8年(1996)には、積丹半島周遊道路(国道229号)が全面開通し、多くの観光客が積丹の美しさを堪能できるようになりました。神威岬を全面禁煙区域とするほか、景観を保護する活動も始まり、今後は周辺地区と連動した広域的な取り組みが期待されます。

ジンギスカン

独特な形の鍋によるジンギスカン料理の発祥については諸説がありますが、北海道でもっとも広く、かつ特徴的に発達しました。名前はモンゴルの英雄成吉思汗(ジンギスカン、ジンギスハーン)から採られたといいます。
大陸にもその原型はみられますが、味付けなど羊肉を美味しく食べる工夫が凝らされ、新しい料理として成立したと言ってよいでしょう。これから羊肉食に親しむようになった人も少なくありませんし、観光の一つの魅力づくりとしても役立っています。お花見、キャンプなどでも必ず登場する北海道ならではこの食は、鍋を囲んで人と人をつなげる大きな役割も果たしています。

森林鉄道蒸気機関車「雨宮21号」

森林鉄道蒸気機関車「雨宮21号」は、東京・雨宮製作所で製造された初の国産11トン機関車です。昭和3年(1928)、丸瀬布一武利意森林鉄道に配置され、国有林から伐り出した丸太や生活物資の搬送に携わってきましたが、昭和36年(1961)、廃止になりました。

機関車に愛着を抱く地元民の強い要望で、昭和51年(1976)、北見営林局から町に譲渡され、町は市街地から9キロ離れた地域に“森林公園いこいの森”を建設し、鉄道を敷設して昭和54年(1979)から機関車を走らせました。
この動態保存は道内では唯一のものです。 周辺にはオートキャンプ場や昆虫生態館、郷土資料館などが設置され、汽笛を聞きながら、森の大切さも学ぶことができます。

スキーとニセコ連峰

<選定理由>
厳しい寒さや雪に閉ざされる北海道の人々にとって、冬期間の最大の娯楽はスキー遊びでした。少し豊かさを感じるようになった、昭和40年(1965)頃から、スキーは、欧米並みの「冬のレジャー」と言われるようになりました。その代表格が昭和初期から知名度の高かったニセコ連峰です。

娯楽が多様化した今日においても、人気は衰えるどころか、最近は外国からの入客も増え、四季を通しての新しいアウトドアスポーツの拠点となっています。 その豊かで、雄大なニセコ連峰は、道民にとっても魅力的な地域です。

宗谷丘陵の周氷河地形

宗谷丘陵に見られるなだらかな地形は、約2万年前の最終氷期の間に形成された氷河由来の特徴的なもので、氷河周辺部での凍結融解の繰り返しによって出来たものです。

谷が樹枝状に延びる地形は上空からよく観察されますし、丘陵上の道路を通ると緩やかな起伏を感じることができます。明治44年(1911) 5月に起きた山火事で森林が失われて、その後は多くの笹に覆われていますが、谷沿いにはようやく森林が回復しつつあるのが見られます。
日本最北端のこの丘陵には、国内最大規模を誇る広大な肉牛牧場があり、厳しくも豊かな自然に育まれた健康な黒牛が約3,000頭、放牧されています。

土の博物館「土の館」[上富良野町]

スガノ農機株式会社が開設している「土の博物館」。二棟に分かれており、「トラクタ博物館」には北海道に初めて導入された 鉄車輪トラクタや実働するカナダ製の蒸気式トラクタなど世界各地のトラクタ80台が展示されています。

「土の館」は土壌の展示などが主で、北海道開拓が過酷な気象条件の中で進められた経緯や、土と人間の関わりの大切さを伝えています。 とくに階段踊り場に展示している高さ4メートルの巨大な土の標本展示は、世界に類を見ないもので、その標本から大正15年(1926)に起こった 十勝岳噴火による泥流災害の凄さと、どん底から見事に立ち直っていった人々のたくましさを汲み取ることができます。

天塩川

天塩川は延長256キロメートル、北海道第2位の長大河川です。流域には天塩岳道立自然公園、利尻礼文サロベツ国立公園が広がり、幕末の探検家 松浦武四郎が天塩川内陸調査の途上で「北海道」の命名をしたとされる場所があります。

その名前の由来となったテッシ(アイヌ語で「梁」の意味)が数多く点在し、河口までの160キロメートルを一気に下る ことができる日本有数のカヌー適地としても知られています。愛好者たちは、周辺にある工房で作った自分の艇を持ち込み、20ヶ所あるカヌーポートから大河を下っています。

さらに、流域13市町村では広域連携会議やNPO法人などの団体が天塩川を舞台にさまざまな活動を主催し、広域リバーフロント文化圏として官民一体の幅広い取り組みが評価されています。

屯田兵村と兵屋

屯田兵とは、明治期に開拓と軍備のため北海道に配備された兵たちのことです。明治8年(1875)に札幌郡琴似村に兵村が置かれ、以後、明治32年(1899)の士別、剣淵の両兵村まで25年間にわたり37か村に兵村が置かれました。通常1中隊200戸を単位に、軍事訓練と開墾に励みました。

上湧別町は、当時の区画の北兵村地区と南兵村地区が今も残っており、ふるさと館には兵屋がそっくり保存されています。屯田ふるさとまつりには屯田兵の衣装をまとった屯田三世の行進が人気を呼んでいます。

札幌市琴似、美唄市、士別市、厚岸町太田、根室市和田などに兵屋、札幌市新琴似、江別市野幌に中隊本部の建物が保存されており、 北見市の信善光寺には珍しい屯田兵人形75体が祭られています。

ニッカウヰスキー余市蒸溜所

理想のウイスキーづくりをもとめた竹鶴政孝は、澄んだ空気と夏でもあまり気温の上がらない気候に加え、近くに良質なピートに恵まれた余市をその適地として選びました。

ニッカウヰスキー余市蒸溜所は、昭和11年(1936)、ポットスチルに火が点じられてモルトウイスキーの製造が開始されて以来、当時と変わらない製法でウイスキーの蒸溜、貯蔵を行って今日に至っています。

発祥の地スコットランドを偲ばせる創業当時の社屋は、すべて社員の手作りによって建設され、広い敷地の植栽もまた社員によって行われて来ました。 これらは、年末年始を除き通年見ることができます。また、町のいろいろな行事にも開放されています。

野付半島と打瀬舟

全長26キロメートルの日本最大の砂嘴(さし) 。古くから生活も営まれ、擦文時代の竪穴式住居も多く見られます。江戸時代には国後へ渡る要所として通行屋が設けられ、北方警備のため武士も駐在しました。トドワラ、ナラワラの特異な景観や、春と秋に野付湾に浮かぶ打瀬舟の風景が多くの人々をひきつけています。

北海シマエビ漁に用いられる打瀬舟は野付湾の風物詩として知られ、霧にかすむ海原にゆらめく舟影は幻想的です。 シマエビの住処であり、餌となる藻を傷つけないために三角帆で風を受ける漁法は江戸時代からあったといわれます。

平成14年(2002)に完成したネイチャーセンターを拠点に様々な住民活動も展開され、今後の自然景観の保全・利活用に期待がかかります。

登別温泉地獄谷

地獄谷は、北海道を代表する温泉地・登別温泉最大の源泉で、約1万年前の火山活動によって生まれた爆裂火山口跡です。直径450メートル、面積11ヘクタールの谷底には大地獄を中心に15の地獄があり、ここから成分の異なる湯が毎分3000リットル湧き出し 、温泉街の旅館やホテルに給湯されています。登別温泉の特色は「温泉のデパート」と形容される多様な泉質にあります。温泉には19の泉質があり、このうち登別温泉では11の泉質が湧出しており、これは世界的にも珍しく、古くから研究の対象になっています。

また、地獄谷の周辺には、地底から湧き出る熱湯によって表面温度が40〜50度になる大湯沼、頂きから白煙が立ち上り、高山植物の名所としても知られる日和山、国の天然記念物でもある登別原始林などが広がり、入湯だけではない楽しみのバリエーションに富んでいます。

函館西部地区の街並み

函館は安政6年(1859)、横浜、長崎とともに最初に開港した3港のひとつ、近代日本の幕開けを告げた町であり、西欧文化に開かれた玄関口として、さらには北海道へ渡る人びとの玄関口として栄えてきました。函館山麓西部地区には、埠頭倉庫群、函館どつくのような歴史的港湾施設や防火造商家、明治40年(1907)の大火で焼失後、比較的短期間に再興されたまちなみが遺されています。

旧函館区公会堂やハリストス正教会復活聖堂に代表されるハイカラな洋風建築とともに、和洋をたくみに 交えてデザインされた商家や住宅が数多く建ち並び、その景観は他では見られないものです。

北限のブナ林

ブナは温帯を代表する樹種で、北海道では渡島半島だけに分布します。黒松内はその北限で、太平洋側の長万部と日本海側の寿都を結ぶ黒松内低地帯がそのほぼ境界です。

この北限のブナ林は国指定の天然記念物にもなっていますが、その他のブナ林も大切に守られています。自然の恵みを子供たちや訪れる人々に伝える自然学校の開設など、地域が一体となって、ブナ林の役割を考える取組が進められています。
また、渡島の七飯町には幕末に在住したドイツ人ガルトナーの植林したブナ人工林が残っています。これは日本で最初の人工林です。

北海幹線用水路

空知山地の西に沿って赤平市から南幌町まで延長約80キロメートルにおよぶ用水路が北海幹線用水で、農業専用では日本でもっとも長い用水です。空知平野の農地に水を供給するために設けられたもので、約16,000ヘクタールに灌漑しています。北海道の穀倉の一つを支える重要な役割を果たしているのです。

空知川から水を取るために大正13年(1924)に着工された北海頭首工(赤平市)を起点に、途中、美唄市に調整池が 作られ、さらに岩見沢市などの市街地では親水公園が整備されています。地域住民による植栽も始まり、管理用道路はこれ から自然歩道としても活用されるでしょう。

北海道の馬文化(ばん馬、日高のサラブレッドなど)

北海道の馬の歴史は古く、明治期には農耕など開拓の労働力として人々と苦労をともにしてきました。農耕馬の力を試した「お祭りばんば」は、仏原産のペルシュロン種など1トンに及ぶ馬を取り入れた「ばんえい競馬」に発展し、旭川、帯広、北見、岩見沢の4市で迫力を楽しむことができます。

力を求めたばん馬に対して、サラブレッドは速さを求めて改良が進められています。全国の軽種馬生産の約8割を占める日高地方は、北海道らしい牧場風景を作りだし、世界に誇る浦河町の「JRA日高育成牧場」では、生産・育成調教技術の研究・普及、施設の開放により世界に通用する強い馬づくりに貢献しています。
道和種馬(どさんこ)は、農林漁業や運輸交通などで活躍し、鞍(サドル)やそり製造などの高い技術を生み出してきました。最近では、大自然の中でのトレッキングやセラピーとしての活用も盛んになっています。

モール温泉

モール温泉は、泥炭を通して湧出するもので独特の黒っぽい湯が特徴です。ドイツのバーデンバーデンにあるものが有名で、日本では、北海道の十勝に代表して見られるほか、石狩平野や豊富町などでも湧出しています。

呼び名のモールは「Moor」のドイツ読みにちなむもので、泥炭のことを意味しています。 主成分は植物性腐食質で、鉱物成分より植物成分が多いのが他の温泉との違いです。また、熱源は地熱に加えて、地下での植物の堆積物による発酵熱と考えられています。
泥炭に含まれるフミン酸などが美容にも効果があると言われています。

流氷とガリンコ号

毎年、冬のオホーツク沿岸に押し寄せる流氷は“海の邪魔者”とされてきました。これを逆手に取ったのが冬の“流氷観光”です。紋別市ではアラスカの油田開発用に 試験的に作られた砕氷船を「ガリンコ号」と名付け、観光客を乗せて流氷の海へ乗り出しました。ドリルで流氷をガリガリ砕いていくたびに船内に歓声が沸き上がります。現在のガリンコ号は2代目です。

また、沖合約1キロにそびえるオホーツクタワーでは、海底7.5メートルから流氷観察や流氷下の様々な生態の観測ができます。さらに、紋別市は流氷研究国際都市を宣言し、北方圏国際シンポジウムを開くなど流氷の大切さを訴えています。

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